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No.1027 | 江戸時代の甚平ですか・・・毎度余談ですが 投稿者:朝路真行 着物歴:21年以上 住所:兵庫県 投稿日:2002-05-13 |
| コメント: | 初めまして。朝路と申します。甚平がお好みとは面白いですね。愚生が書くと何時も長文になるのですがお許しください。
甚平は甚兵衛羽織の転化したもので、その語源は定かではありませんが、どうやら陣羽織から来たようです。陣羽織はご存知でしょう?あの鎧の上に羽織る袖なしの羽織ですが、テレビで見るような形ばかりでなく、袖のあるものもあり、デザインは豊富だったようです。元は防寒着だったようですが、夏も用いるようになり、素材もラシャなどの厚い織物から、薄物も作られるようになりました。おそらく夏に着るこの薄物の羽織が、その夏用陣羽織に似ていたのでこの名前になったのでしょう。 羽織と書きました。これでお判りになると思いますが、元は甚平にはズボンはありません。 現代と違い、高温多湿で空調のなかった昔は、男女ともに裸体をさらすことを気にしなかったようです。男性の夏のスタイルとして褌一丁は当たり前だったんですね。 お調べになる機会があれば、歌舞伎の写真集などで『浮かれ坊主』という舞踊の演目の写真を見てください。初夏の江戸下町に現れたこの人物の出で立ちは、麻の葉段鹿の子絞りの褌(下帯)に、黒紗の十徳(羽織)だけです。 現在の甚平+ズボンのスタイルはつい最近に作られたものです。おそらく明治に作られ、昭和の30年代頃まで、夏の男性下着の代表だった『ステテコ』が変化したものでしょう。今より丈が長く膝下までの甚平にステテコと言うスタイルは、古い映画ではよく見かけるものです。この手でよければ、丈長ズボンなしの甚平と言えば、既製品であります。 どうしても江戸時代にこだわられるのであれば、まず先記の歌舞伎の写真を見られることをお薦めします。と言うのは、現在の甚平と随分イメージが違うからです。甚平の発祥が関西地方とありますから、その名の由来通りに、おそらく大阪夏の陣の影響があったのでしょう。そのことからも全く形状が違うとお考えください。それでも作りたいと思われるのなら、こう注文されるといいと思います。素材は『紗』や『絽』では透けすぎますし、素肌に着るものではありませんから、『麻』が適しているでしょう。茶人用の十徳を丈を長めにと言って、店の人が理解できなければ、広袖、脇開けで合わせ目を少なく、衿を返さないようにして、共布で胸紐をつけた丈長の羽織を仕立てて欲しいと仰ればいいでしょう。「そんなもの出来ない」とか「まだ判りません」と店のものに言われたら、また別の方法をお教えします。『広袖』(ひろそで)というのは、袖口を作らない袖のことです。筒袖の広いものと考えてください。 ここまで話しましたが、気になることが一つあります。もし甚平と作務衣とを混同されている場合です。作務衣の歴史はそう古いものではなく、江戸時代にはありません。似たものはあったかも知れませんが、現在のものは剣道や柔道の胴着などから発展したものです。もし作務衣をお望みなら、寺院関係の衣装を取り扱っている店舗を問い合わされるといいでしょう。お望みの白色はもちろん、様々の色があります。仏壇仏具の店でも扱っている場合があります。 |