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 ■--袷の紋付着物の裏地(黒か白かそれが問題だ)
 >>>源中将  男  北海道  -- 2003/10/26-10:53..No.[19]
    さて、先ほど質問ついでにまた一つ。いま袷の紋付を注文してます。いままでは、価格と着る時期の多さから紋付の着物は季節を問わず、単衣の着物でとおしてきました。しかしやはり冬は袷の方があたたかいし、一応のお決まりでもあるので袷の紋付の着物を作ろうと思います。しかし、裏地を黒の絹にするか、白の綿にするかをまだ呉服屋と相談してます。どっちも値段的には同じとのこと。あとは好みの問題だとおもいますが、地方、時代とかで裏地の色とか違うのでしょうか?




>>> 朝路真行  男  兵庫  -- 2003/10/29-05:06..No.[26]
 
    はじめまして。朝路と申します。
仰るように、最終的な判断は御自身のお好みになるかと思います。なのでご参考までに申し上げます。
 よく言われるのは、紋付の羽織の裏(羽裏)の色として、白は新郎用、色、柄物は、それ以外用と言われています。なので、同様に長着も白裏は新郎用だと言う方も居られるようです。
 これは考え方によるのですが、羽織は本来、防塵防寒用の料なので礼装には用いない物です。ですから羽織と長着を同様に考えるのは少し無理があると思います。江戸時代、羽織を正式の料とする場合は、野外での行事においてのみで、室内では脱ぐものとされていました。時代が下って寛政以降、長着も羽織も同じ布で作るようになり、重要行事以外は着用しても差し支えない程度になったようです。
 必ず白裏を使う物としては、大名、高禄の旗本が登城の際に着用する熨斗目(のしめ)という、柄織物の長着があります。ちなみの武家の礼装では、下着、衿などは全て白が正式です。公家のおいても下着等は白が正式ですが、衿、裏などは重ね目を配慮していますので、禁色や官位によって違いがあります。一般においては、公家や武家に遠慮して、特別の場合以外用いなかったようです。特別な場合とは、冠婚葬祭などの場合です。これが先に述べた『白裏は新郎用』という原因になったようです。ならば白は絶対に用いなかったのかといえば、厳密には白に近い色、あるいは白に見えるような色は使っていたようです。例えば浅黄、銀鼠やクリーム色のようなものです。現在でも歌舞伎の役者が正装して、口上などの席に並ぶ場合、紋付の裏には白は用いないようです。ただ重ね衿などには白を用いることもあるようです。
 余談ついでに、先ほど述べた熨斗目は、現在、一般にはほとんど見られません。
熨斗目の柄に似せた作りの七五三などに用いる幼児の着物はあります。ただ正式な熨斗目とは言いにくい物が多いようです。
 能狂言の世界では現在も熨斗目と呼ばれる着物があります。能狂言では、舞台衣装以外にも、熨斗目を正装に用います。知る限りでは、それらの裏は茄子紺、えんじ、濃紫などが多いようです。
 衿の色=裏地の色という訳ではありませんが、能狂言の衿の合わせ目では、白の重ね衿は高貴、壮年、幼年を表現し、白に紅色や紫、緑などを重ねる場合は色気、若さ、執念などの性格を表現するとされています。これに準じるわけでは無いでしょうが、歳を経るごとに着衣の色を薄くしていく習慣があったようです。
 色目の説明ばかりになりましたが、お役に立つでしょうか。
 

>>> 源中将  男  北海道  -- 2003/10/29-05:44..No.[27]
 
    詳しい説明ありがとうございました。いずれにせよ、外からは見えないものですよね。とすると着心地のよい方というのが正解ですかね?
黒紋付は御家人の服装だったのが、幕末に一気に格があがりますね。15代慶喜さんは大政奉還の時になみなみいる諸大名のまえで黒紋付ですからね。普段のかれの写真も黒紋付が多かったようですね。
それと関連して差料も、こまごまと規定があった脇差しではなく決まりごとのない短刀にかわってますね。これが現在までに影響しているとおもいます。仙台市の伊達の殿様の子孫のかたの写真を雑誌かだか広報誌だかでみたときも、和装に短刀でした。かくいう私も改まった席(葬式、結婚式)では短刀着用します。人が多く酒の席があるときは事故防止のため中身はいれないようにしてます。
 

>>> 朝路真行  男  兵庫  -- 2003/11/01-07:59..No.[30]
 
    仰るとおり、着心地のよい物が一番かと思います。
余談ついでですが、通常将軍の羽織には紋が入っていない物を用います。特に黒の羽二重の羽織には紋を入れない決まりになっていました。これは外出の際、将軍の警護をする徒歩衆も将軍と全く同じの黒の羽織を着用して、万が一の場合、将軍はこの徒歩衆に紛れて避難します。これは室内においても同様で、将軍は必ず一枚は黒の羽織を身近に置いていました。その他の理由として、紋は通常、人や家の認識に用いる物ですから、たった一人しかいない将軍は紋をつける必要が無いためかと思われます。
 大政奉還の場を描いた有名な絵にも、慶喜公は紋付の羽織を着ているようですが、あれは明治期に描かれたものですから実際と異なっているかもしれません。将軍以外に描かれている大名の姿を見ますと、継裃の大名もいるようですから、正式な儀式であったと見るよりも、緊急召集された内々の会合であったと思われます。おそらく慶喜公の多く残っている写真も、将軍就任前と将軍退任後の物なので、紋が入っているのではないかと思われます。
 幕末に紋付袴の格が上がったのは、御目見得以下で通常の勤務に裃の着用を許されていない人々が多く登用されたためかと思われます。
 また指料については、登城時以外は自由であったようです。登城用の指料は黒蝋塗鞘、柄巻、下緒も黒糸、金具は赤銅魚子、頭は角製となり、将軍の物は柄巻や下緒が白になります。
 元禄期に、脇差の長さをめぐって死傷する喧嘩まであったようですから、幕末になって自由な脇差を指すようになったとは思われません。
 武士の場合、必ず大小を指しますが、大刀、小刀、あるいは刀と指添えと言い、あくまでも『刀』という表向きにこだわっていました。脇差という場合は長さ形状にかかわりません。よって『長脇差』というようなどう見ても大刀のようなものまで現れました。刀は武士の物ですが、脇差は表向き刀ではないので庶民でも指すことができたのです。
 老婆心な余談でございました。
 

>>> 源中将  男  北海道  -- 2003/11/05-12:10..No.[34]
 
    今気付きましたが、元来の質問は羽織ではなく着物の方でした。紋付着物の裏地についてです。羽織の裏は私は白に絵が書いてあるものです。これも本人の希望でどちらでもよいのですね。

刀については武士以外でも名字帯刀許される場合はさせました。というよりも、徳川将軍が日光に参拝する時など、下役は天領の上級農民が指名され、その場合は、名字をなのるのと帯刀しなくてはならないのが決まりでした。刀をあつらえたり、重い刀をさすのは彼等にとって嫌だったようです。いまの感覚では、上級の身分の証である帯刀できるからいい気分だろう、と思いがちですが、当時の感覚は違っていたようですね。やくざの刀も実際に刀なのに、長脇差しですしね。短刀については決まりはなかったので庶民どころか幕末の上級武士も脇差し代わりに差していたようですね。余談ながら。
 

>>> 田舎もんのトトロ  男  栃木  -- 2003/11/06-19:39..No.[37]
 
    お晩です、田舎もんのトトロです。

はじめまして。

すでに、源中将さまが仰ってますが、ご本人の好みですが、
こちらの呉服屋さんで伺ったことを書きます。

まず、長着ですが、額仕立てになります。
通し裏にはしません。 源中将さまも額仕立てで、
胴裏の部分を黒になさるか、白になさるかとのお悩みで
よろしいわけですよね。
こちらでは、白を使うことがほとんどのようです。
上にも書きましたが、額仕立てにしますから、白を使っているようです。
反物(と申しますか、疋物以上ですが)に、長着用の八掛け分が
用意されていて、確か七丈物と呼ばれるものがありまして、そちらですと、
胴裏の部分のみを用意することになり、結果として、白を選ぶことが
多いようです。

羽裏につきましては、色物は当てないとのことで、源中将さまの
おっしゃるものを当てるんだそうです。
ただ、私は、山水画などが描かれた裏が好きではないので、
どうしたものだろうと思ったことはあります。
#黒紋付を作ろうと思ったことはないのですが、私の中では、
#収まりが悪いと感じてしまうのです。
#さすがに、真っ白の生地を当てるとは考えませんが、
#何か良いものはないかと。

以上が、栃木県南部から群馬県南部の作り方になります。

紋付ではありませんが、お召しや紬ですと、呉服屋さんの考え方も
反映され、おもしろいものです。

私のお願いしてます一軒の呉服屋さんは、お召しですと、必ず、
額仕立てを薦めます。八掛けも別染めでした。
紬ですと、通し裏を薦めます。

もう一軒の呉服屋さんは、お召しでも通し裏が格好良いと言います。
このときは、ピンクゴールドのようなベージュ地でしたので、
その反物に合う通し裏は無く、やはり、別染めとなりました。
表地と同系色にしました。これもうまく仕立て上がりまして、
満足しています。

最近、仕立て上がりました黄檗(きはだ)の微塵格子の大島(都城)は、
最初、黒の通し裏を考えたのですが、それでは、着物が(見た目が)
重く感じるとの助言で、額仕立てとし、八掛けを黒に、胴裏を白に
仕立てました。良い感じ仕上がったと思います。

さすがに、黒紋付ですと、ある程度、制限されるとは思いますが、
本人が満足できるものになりますよう願っとります。

では、ごめんなさい。
 

>>> 源中将  男  北海道  -- 2003/11/10-20:38..No.[42]
 
    トトロさま(私の生まれ故郷はトトロの里です)、
長々とありがとうございます。そうです。長着のことです。呉服屋の説明だと、袷の場合の裏は、胴と下の方(なんというのですか?)は同じ生地にしたほうが、反物が一つなので安くつくとのこと(表の生地は別で裏だけのことです)。下は黒っぼいのにきまっているので胴裏を白くすると、二つの反物を買うことになるとのことでした。ここんとこはどうなんでしょう?ただし手芸屋をのぞいたら白の羽二重でも安いのがあるのですよね。ただ呉服屋としては高い生地を買わせたいのかもしれません。
 

>>> 朝路真行  男  兵庫  -- 2003/11/11-07:05..No.[43]
 
     話が本筋からそれて失礼しました。愚生は通し裏の仕立てと思い込んでおりましたので、熨斗目などの話をいたしました。
 額仕立て(胴抜き)にするか通し裏にするかは、やはりお好みか、金銭的なことになると思います。仰っている『胴と下の方・・・』の下の方は、「八掛」(はっかけ)または「裾回し」あるいは「裾裏」といいます。
 本来の着物の着方として、小袖(長着)を二枚あるいは三枚を重ねて着ていました。これは衣服を汗などの汚れや擦れなどから保護する目的と、重ね目などの色目の美しさ、防寒のためからだと思われます。時代が下がり、武士以外、袴を常時用いないようになって、つまり着流しが町人の常用の着方になって衿の合せ目だけでなく、袖口や裾回しの色目を強調するようになりました。八掛けの意味は、裾回しに4布、衽、衿にそれぞれ2布づつ、計8布を裏地に掛ける事から、そう呼びます。
 重ね(長着の下に)に用いる着物は、最初同型同系色の物を用いていましたが、元禄頃から華美になり、布地を効率よく使うため、衿、袖、裾、衽以外は安価な布を用いて仕立てる胴抜き(額仕立て)という形ができました。さらに時代が下り、重ねも省略するようになって、先程のそれぞれの部位に直接縫い付ける『比翼仕立て』になり、最終的に裏そのものを染め分けるなどするようになって、現在にいたっています。
 愚生の考え方として実用的に言えば、男性の場合、女性と違って紋付などは袴を用いますから、裾回しに気を使う必要はないといえます。また着流しで用いるとしても、芸能関係者か特にこだわられない限り、必要とも言えません。
 ではなぜ額仕立てを薦める業者があるのかといえば、やはり、金銭的なことがあると思います。お召しや羽二重などの柔らか物は、高価で礼装に用いる物という感がありますから、仕立てるのであれば豪華に・・・という事もあるでしょう。また紬などに比べると、どうしても生地が傷みやすいので保護という実用的な目的もあると思います。
 必ず紋付は額仕立てにしなければならないという事はありません。やはり最終的には、お好みになると思います。ちなみに貸衣装に用いられる紋付のほとんどは、通し裏になっています。
 度々長文になりました。お許しください。
 

>>> 田舎もんのトトロ  男  栃木  -- 2003/11/11-17:53..No.[46]
 
    お晩です、田舎もんのトトロです。

ご質問の内容、よくわかりました。
まずは、長着に八掛けは付いてないのですね。
となりますと、額仕立てにする必要はないわけですね。

先に、「額仕立てにします」と書きましたのは、八掛けが
長着に付いてる反物(四丈ものと呼ぶことが多いようです)を
使うかどうかでも変わってくると思います。
実は、しばらく前、呉服屋さんでいろいろ物色してましたら、
七丈?紋付地なる空き箱があったのです。
私も、知らないことが多いですが、とにかく、中途半端な長さの
ものがあるもんだと思い、呉服屋さんに尋ねたのです。
その答えは、長着に八掛け分が付いて、四丈、そして、羽織が三丈と
伺い、感心したのです。黒とは言え、同じ色の八掛けをを探すのは
困難なため、最初から、四丈ものとして用意してあるとのこと。
なるほどなぁと思ったものです。今にして思えば、朝路真行さまが
書いてらっしゃいますが、袴穿いちゃいますから、裾の色使いに
そこまで気を回す必要があるかどうかは、今にして思えば、疑問です。
でも、そのときは、感心するばかりでした。

そうしますと、源中将さまの場合、六丈もの(いわゆる疋物)の
ようですので、

   額仕立て=胴裏+八掛け
   通し裏=裏地

が必要となります。
これらの金額の差ですが、呉服屋さんに拠りますね。
私の場合、二件の呉服屋さんとお付き合いしてますが、
どちらのお店も、裏に正絹を薦めることもあってでしょう、
金額に大きな差はありません。
胴裏+八掛けの方が二千円高くらいですね。
通し裏でも、良いものを付ければ、胴裏+八掛けと同じ位に
なっちゃいます。
あとは、仕立て代の差ですが、額仕立ての方が、やはり、三千円位
高いようです。
仕立て代および裏地代を呉服屋さんでご確認戴いた方がよろしいかと
思います。

あとは、朝路真行さまも書いてらっしますが、比翼仕立てにするかどうか
でしょうね。通し裏にするかどうかはとは、直接関係しませんが、
比翼にしたときに、どんな風な長着が仕上がるかでしょうね。
女性の留袖(江戸褄)をご覧になると参考になるかもしれません。
#ならないかもしれません。

私は、裏に綿を使ったものは持ってないのですが、どうなのでしょうか?
裏に正絹を付けているのは、たまたまお付き合いした二軒の呉服屋さんが、
正絹を薦めるだけからなのですが、着心地など随分と違うものなのでしょうか。
女性に伺うと、絶対正絹!と仰る方が多いようですが。
二軒の呉服屋さんが、正絹を薦める理由ですが、流通の問題がありますが、木綿との価格差が小さい、色が選べない、着心地が良いという理由です。
確かに、金額を伺い、また、呉服屋さんに木綿の裏を探して貰うご苦労を
考えると、積極的に、木綿をつけようと思えなくなってしまうのです。
正花(=花色木綿=金巾)も見つけて戴くと、結構なお値段なんですよね。

話が横道にそれました。

では、ごめんなさい。
 

>>> 田舎もんのトトロ  男  栃木  -- 2003/11/11-19:28..No.[48]
 
    お晩です、田舎もんのトトロです。

スレッドを変えた方が良いのかもしれませんが、裏地ということで、
続けさせてください。

実は、先に、通し裏(胴裏)の別染めについて書きましたが、
皆さま、袖口布はどのようになさってらっしゃるのでしょうか。

額仕立てでしたら、袖口布は八掛けに含まれますので、同じ色と
なります。朝路真行さまのご説明でもお分かりになるかと思います。

ですが、通し裏にしたとき、袖口布の色はどうしてらっしゃる
のでしょうか。私は、黒、もしくは濃紺の袖口布しか見たことが
ないのですが、他にも色はあるのでしょうか。
さすがに、袖口布を別染めするのは、躊躇しまして、呉服屋さんと
考え出したアイデアは半襟だったのですが。
私が知らないだけなのか、あるいは、もっと良いアイデアが
ございましたら、教えて戴きたいのですが。

では、ごめんなさい。
 

>>> 源中将  男  北海道  -- 2003/11/13-22:00..No.[52]
 
    朝路様、トトロさま、
 いや、こんなに難しいものだとは思いました。用語とか完全に理解してないのでちょっと勉強します。いままでは単衣の長着の紋付を四季を通してきるといういささか無理なことをしてきました。しかも長着は弓や武術をやる時のことを考えて、普通よりも極端に短くひざよりも若干長いくらいのものにしたててました。今回は冬用に袷の紋付の長着をつくっているところでした。最後にトトロさまが提起したように胴裏、裾裏の他に袖の裏もありましたね。ううん。難しいですね。幸いまだ時間があるのでまずは表の生地をきめてからどうするか決めます。このごろお茶もはじめたので少しは、「お決まり」をまもってやりたいとおもてます。
 紋付じゃなかったらもう適当にやっちゃいますからいままであまり気にもしてませんでした。
 ちなみに普段着は武道用の化学繊維か綿の道着と袴か、夏は綿の着物に野袴、作務衣、冬は毛混紡の丹前で過ごしてます。仕事もそのまま行くことが多いですのでこの時代では一種の変人ですね。
 

>>> 田舎もんのトトロ  男  栃木  -- 2003/11/14-20:18..No.[53]
 
    お晩でございます、田舎もんのトトロです。

却って、惑わせてしまったようですね、
申し訳ありません。(_ _)

本当は、いろいろな紋付を見ることができると良いのですが。
そして、それらの中から、源中将さまのお望みのもの、あるいは、
お望みに近いものを選び、お仕立てすることができたら、
良いのですが。

まずは、こちら

 こちら

を参考になさり、あとは呉服屋さんでいろいろ質問なさると
よろしいかと思います。
また、こちらでお尋ねになるのもよろしいと思います。

私は、お茶はわかりませんが、お茶の先生にもお伺いしますと、
勉強になるのではないでしょうか。

私の場合、本人は特に意識したつもりは無いのですが、呉服屋さんが
そう思ったのか、結果として、それなりに、凝った長着を作ることに
なってしまっていたように思います。
要は、どんな風に着るかですので、それをお考えになられると、
方向が定まってくるように思いますので、着る(着た)イメージを
想像なさり、それを呉服屋さんにぶつけるとよろしいかと思います。
結構、大変かもしれませんが、仕立て上がると、また、喜びも
大きくなります。

たとえば、袖口布ですが、半襟で問題が解決し、できあがったときには、
よかったぁと思いました。その間、半年位かかりました。
事の発端を書きますと、仕立て屋さんが表地を見て、
黒の袖口布は合わないと仰り、それなら、付けなくても良いのでは?と
私は主張しましたが、呉服屋さんは付けるべきと。
そうでないと、せっかくの着物(このときはお召し)の収まり悪いとの
主張でした。どうやって解決するか、呉服屋さんと相当に悩んだものです。
仕立てあがったものを見ると、苦労して解決した甲斐があったと本当に
強く思います。

あまりに、凝り過ぎますと、重荷になりますが、ぜひ、楽しみながら、
ご自分の一着が仕上がりますよう願っとります。

では、ごめんなさい。