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 ■--健サンの着物姿
 >>>花田秀次郎  男  福岡  -- 2005/11/19-13:11..No.[1990]
    フリートークのコーナーにも書いたのですが、着物の先達方のご意見を頂戴したく、改めて質問させていただきます。
60年代の東映仁侠娯楽映画を見て、高倉健や池部良の着物姿に感動し、いつかはあんな格好がしてみたいと思っております。羽織などはもってのほか、足袋はもちろん襦袢さえも着ないというスタイルですが、これは着物の先達方にとっては「アリ」なのでしょうか。呉服屋などで尋ねてもほとんど否定的な見解ばかりなのですが…。




>>> 十握  男  静岡  -- 2005/11/19-13:47..No.[1991]
 
    そのような着方は洋服で言うと、ボタンを二つくらい開けてワイシャツをズボンの外に出している感じでしょうか、ですから襦袢も足袋もつけない着方の人は昔、結構いましたよ。
呉服屋さんなどはしっかりとした着付けを習っているので否定的なのだと思います。

私は賛成ですが注意点としては、まずちゃんとした和装を知ること、着崩れとわざと着崩すのでは大きく違います。あとは時と場所を考えて着る事、着崩しはワルっぽいイメージを人にあたえてしまいます、歳とかも考えたほうがいいかも。

それでは粋な着崩しをがんばってください。
 

>>> 花田秀次郎  男  福岡  -- 2005/11/19-18:36..No.[1992]
 
    早速のご丁寧な御回答ありがとうございます。「昔、結構いましたよ」という年季の入った先達のお言葉に感激しております。もちろん、御注意は肝に銘じて精進していきたいと思います。有り難う御座いました。
 

>>> 草屋  男  大阪  -- 2005/11/19-22:07..No.[1994]
 
    以前、行き付けの呉服屋の方から、その筋の方の着こなしについて、詳しく教えていただきました、30〜40年前までは、よく買いにこられてたそうですが、最近は本当に見なくなったそうです。
懐かしそうでしたね(でもやるなといわれましたが)。

しかし微妙に高倉健さんや池部良さんたちとは格好が違いましたね、確か、雪駄履き、着流しで裾は引きずりそうなぐらい長め、帯は白い鬼縮緬の反物の中でもかなりシボのきつい奴を適当な長さに切りっぱなしにしたものをしごいて巻きつけるのが流行ってたそうですが(記憶違いありましたらごめんなさい)。
本職の方と、ちょっと粋な着崩しの方との差とか、流行り廃りとか、地域差もあったのでしょうかね。

ふと思い出しましたので、参考までに
 

>>> 花田秀次郎  男  福岡  -- 2005/11/20-18:45..No.[1997]
 
    具体的な御教示ありがとうございます。正統派以外の着方については、ほとんど紹介されたものを知りませんので、大いに参考になりました。(もちろんそれを真似するというわけではありません)
なかでも興味深かったのは「着流しで裾は引きずりそうなぐらい長め」というところです。映画の中の高倉健さんや池部良さんの裾は決して長くはありません。むしろ短めです。平安時代にも「袴垂」という現在の「腰パン」でしょうか、そんなものがアウトローの間で流行ったと聞いたことがありますが、本職のアウトローは「長め」が正統派なのでしょうか。面白いですね。
 

>>> 牡丹亭  男  三重  -- 2005/11/29-22:11..No.[2035]
 
    東と西では随分違うのではないでしょうか。関東の方は丈は短め、幅は狭めだったかと。(その筋の方の仕立て方ではないですが、沢村貞子さんのエッセーに関東の浴衣の仕立てかについて興味深い文章がありました。)

草屋さんが書かれてみえる「縮緬巻きつけ」は私も記憶があります。でもこれは「粋」を目指しての着崩しではなかったとも思いますよ。
今以上に東と西の着物の美学は、大きく違っていたかも知れません。

健さんの着こなしを目指されるのなら、沢村さんの書いて見える仕立て方で浴衣などにチャレンジされてはどうでしょうか?
 

>>> 花田秀次郎  男  福岡  -- 2005/12/03-00:30..No.[2054]
 
    ご親切なアドバイス、有難うございます。
ところで、映画の中では健さんをはじめとする善玉はほとんどが角帯、それに対して悪役は兵児帯が多かったようです。別に深い意味はなかったのでしょうが、どうも私はそれに影響されて、帯と言えば角帯以外は考えられなくなってしまったようです。
 

>>> いろは  男  京都  -- 2005/12/17-15:56..No.[2099]
 
    素肌の上に直接袷を着ることを素袷と称し、江戸時代からやくざ物、粋筋、粋がった若衆などがよくこうした着方をしました。裾を長くするのは芝居や色町の好みで、色男の着こなしです。前者は硬派の、後者は軟派の、崩れた着こなしといえます。
着物のことは歌舞伎を見てみないとよくわかりません。歌舞伎では現在でもこうした着こなしの区別がきちんと守られています。
ちなみに兵児帯は明治以降に流行したもので、江戸っ子はこれを嫌いました。兵児帯を締めるのは田舎の金満家というイメージがかつてはあったようです。
 

>>> 花田秀次郎  男  福岡  -- 2005/12/19-22:57..No.[2108]
 
    詳しいご教示有難うございます。
やはり歌舞伎は大いに参考にすべきなのですね。
勉強になりました。
先日、それこそ「素袷」に裸足に雪駄で颯爽と(?)街を歩いていましたら、向うから来たヤンキー風の若者3人が道をあけてくれました。
なんとも痛快な一瞬でした。