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 ■--武家と町衆の着物
 >>>忠吉  男  東京  -- 2005/05/23-15:38..No.[1165]
    初めてお送りいたします。

私は武術をやっておるのですが、最近、演武大会の席でお会いした
方から、「それは町衆(町人)型の羽織だ」と言われました。
着ておりましたのは、古着屋さんで購入いたしました黒紋付です。

その方は、そう一言私に仰ると行かれてしまいましたので、どう違
うか等分からぬままになってしまいました。
袴のつけ方等、着付けが違うと言う事は先輩より習いましたので分
かるのですが、どうもその方は、「造り」が違うと言うような意味
合いで仰っていましたので、先輩も分からないそうです。
武家と町人(もしくは現在)の羽織や着物・袴は形が違うという様
な決まりや造りがあるのでしょうか?




>>> かもめのたまこのダンナ  男  神奈川  -- 2005/05/23-18:37..No.[1166]
 
    忠吉さん、かなり今どき珍しい事を言われたのですね。
私はご先祖さんが江戸末期の着ていたという羽織を持っておりますが、紋が五つ紋で、背割りがあるということ以外現代のものと大きな違いを感じません。紋については町家は三つ紋・武家は五つ紋であったと聞いた事があります。背割りについては刀を差すためか、もしくは馬に乗るためだと思われますが確証はありません。
先日教わったことですが、帯の幅も違ったらしいですよ。ただ江戸期も初期と末期ではかなり違うそうですし、地方格差もあったそうですから研究の対象になるかもしれませんね。
 

>>> 朝路真行  男  兵庫  -- 2005/05/23-22:42..No.[1169]
 
     初めまして。朝路と申します。かもめのたまこのダンナさんがお書きになっていますので、私からは蛇足を申し上げます。

 かもめのたまこのダンナさんが仰るように、背割りが入った羽織(通称 ぶっ割き羽織)のことを武家用、現在一番多く見られる羽織の形=丸羽織とを区別して、その演武の方は御指摘なさったとも考えられますが、現物を見たわけではありませんので、私もはっきりとは申せません。
 武士の階級によって制服が異なり、裃、背割り羽織(尻割とも)、丸羽織、
羽織と分けていた資料もあります。この場合の最下級の羽織とは、よく時代劇などで町奉行所などの門番が着ている法被のことだと存じます。(法被は祭などに用いる半纏に似たものでなく、形状は羽織と同じの紋入りの支給品) また野羽織(または道中羽織)も割り羽織と同じく背が割れていますが、割れている部分に四角の補強布を当て、衿に黒羅紗や皮で掛け衿をつけます。
 わかりやすく町奉行所で例を申しますと、門番など下働きの用人などは、先ほど申し上げた法被、一般の事務を処理する同心格は丸羽織(町周り同心は裾をあげて着ます)、幹部級の与力は馬に乗ることを許されていますので割き羽織ということになります。
 他に違う個所と申しますと、『乳』の位置が違うと私は聞きました。時代によって違ったりするそうですが、刀の抜き差しに邪魔にならぬよう、通常よりも高い位置に付けるとか、あるいは低くするとか・・・
 かもめのたまこのダンナさんの仰るように研究の対象かもしれませんね。

 長々と失礼の段、平に御容赦。
 

>>> 忠吉  男  東京  -- 2005/05/24-09:00..No.[1172]
 
    かもめのたまこのダンナ様並びに朝路真行様

早速のご返信、誠に有難う御座います。
なるほど、かもめのたまこのダンナ様ご指摘の様に
確かに私が着用致しておりました羽織は、五つ紋で
は御座いますが、背割りは入っておりませんでした。
ただ、その方のお召しになられていた羽織も背割れ
ではなかったように見受けたのですが・・・
そう致しますと、乳の付け位置等を仰ったのでしょ
うか。
確かに幕末の写真等を拝見すると、乳の位置が高い
物を着用されているものがありますね。
また、朝路真行様のご指摘の様に土佐の山内公や奥
州の伊達公がお召しになられているものは、今のも
のと変わらない高さに見受けますね。
位や使用目的により異なる、と言う事ですね。
また、帯の件も興味津々です。
二本差は献上帯の博多織を使用するというのは、
昔からそうだったのか等など。

ご両所におかれましては、つたなき質問にお答え
頂き心より御礼申し上げます。