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 ■--紋の数について(特に三つ紋の用途について)
 >>>たかむら  男  京都  -- 2005/03/23-23:35..No.[994]
    続いて、もう一つ質問をさせてください。
私は持っている羽織、長着はみな一つ紋なのですが、三つ紋というのはどのようなときに使用するのでしょうか?
五つ紋はかなりフォーマル(結婚式など)、一つ紋は略礼装、というのはなんとなく納得がいきます。じゃあ、その間の三つ紋は?と考えると・・・悩んでしまいます。
個人的には、感覚的に卒業式や成人式など、自分は主役だけれども他にも主役がいるといった時や目上の方にお会いする時などに使うのかなという気がいたします。
実際どうなのでしょうか?よろしくお願いいたします




>>> 朝路真行  男  兵庫  -- 2005/03/24-05:43..No.[995]
 
     どうも朝路でございます。
 
 結論から申し上げますと、現在の使用用途としては、たかむらさんがお考えになっている方法でよろしいかと存じます。以下は聞き覚えたことを申し上げます。

 五つ紋、三つ紋、一つ紋は、格の上下ではなく、本来はその発生から用途が異なります。家紋が衣服に付けられるようになったのは戦国期半ばから。当初はデザインの一つでしたが、時代が下がり戦が無くなって、戦功や武勲といったものが重要視されなくなり、家名が重んじられるようになって家紋を衣服に付ける意味が生まれました。それまでは家紋よりも馬印であるとか旗印の方が重要だったのですね。
 紋の位置については、水干や直垂に付けられていた菊綴という飾りのついていた場所が元だと言う説があります。菊綴は袖や脇を補強する目的から、デザインに変り、菊綴が紋に変ったと言うものです。ですから当初は紋の数に意味は無かったのですね。直垂の一種である大紋には、紋が十個付いています。家紋は一族や自身の所属を明らかにするものですから、見えるところに付いていないと意味が無い。
 そういう意味で五つ紋は、どこから見ても必ず紋が見えますね。殊に裃が武士の正装となってからは、裃の肩衣が胸にかかるため、袖の紋を外すことは出来なくなり、五つ紋が固定しました。
 一つ紋は元々魔除けの発想から出たものです。無防備な背後を邪気から守るという意味ですね。今でも同様の発想で紋や絵柄が付いているものとしては祭り半纏などがいい例ですね。商店の印半纏などは、商標と魔除けの両方を兼ね揃えたものではないでしょうか。その意味からも特に家紋に拘るわけではないので、女性ものの場合は洒落紋が多く見受けられますね。
 さて、三つ紋については諸説が入り混じっていて、簡単には説明がつきません。一つは裃の名残だというものです。裃は素襖の両袖を取った形から出来たものですから、袖にあった紋が無くなっています。よって5−2=3ということで三つ紋が定着したというもの。さらに他の説は、裃を着ないあるいは着ることを許されていない身分のものと言うのがあります。裃を着けないということは、胸の紋が肩衣で隠れてしまわないので、袖につける必要が無いということですね。裃を着ることが無いということは武士ではなく庶民と言うことになります。これは早坂さんが『町人の紋』で祇園一力のお話を書いておられる裏づけになるのではないでしょうか?

 ただこれらは、正式な場所での正装あるいは礼装に限ったことであり、浮世絵などに見られる江戸当時の人々の風俗を見ますと、五つ紋を着ている町人も多く見受けられます。この場合は家紋というよりも洒落紋または所属の団体の紋を付けていると判断した方が良いかもしれませんね。あるいは元武士出身という意味合い持つ人もいるかもしれません。
 所属の団体の紋とは、商店の商標、宗教的なもの(氏神や旦那寺の宗派の紋)、芸能の団体などのことを指します。

 現在、五つ紋が正式とされている背景には、明治期に制定された服装令のためですね。もちろんそれを決めたのは、当時の御役人=武士出身者ですからそれまでの制服であった五つ紋を、何の考えも無く制定したのでしょう。

 私見としては、紋の数に格の上下は無いと考えていますが、これらの事と、紋が見えなければならないという意味から判断すると、五つ紋は当事者用として、あるいは式典の重要度に応じで使用するもの。家紋を用いる場合は、三つ紋も一つ紋も同等で、五つ紋以外の場所に用いるもの。家紋を用いない一つ紋はお洒落着用とするのが妥当ではないかと存じます。

 御参考になりますでしょうか?
 

>>> たかむら  男  京都  -- 2005/03/25-16:58..No.[1001]
 
    なるほど、その由緒によっても違うとはなかなか奥の深い話ですね・・。
いつもながら、ありがとうございました