ホームに戻る   記事一覧画面に戻る


 ■--反物の幅/裄について
 >>>お祭り好きの電気や  男  神奈川  -- 2005/01/03-02:19..No.[636]
     こんばんは、お祭り好きの電気屋です。

 正月番組をのんびり見ていて、ふと気になることがあり
ました。それはお相撲さんの着物。最近テレビなどで着物
姿を見るとついつい内容よりそちらのほうに目線が・・・。

 お相撲さん位になると当然普通の反物では対応できない
ので接ぎを入れたりするわけですが、テレビの解像度や
カメラアングルのせいかそれが見当たらないのです。

 これが縞柄であれば柄でカバーできるわけですが、つる
つるの生地なのにこれが分からない。

 そういえば剣道袴でも化繊のものは4枚(または6枚)
では無く、大きい生地2枚で仕立てられたものもあります。
ということは、スーパーキングサイズなるものが実は存在
するのでしょうか。

 また、旅館浴衣などでも衽が左右で2枚ではなく、1枚
もので仕立てられているものも見かけます。お相撲さんの
浴衣姿でも私は接ぎを見かけたことがありません。

 紬などでは不可能でも現在実用されている生地ではそう
いう規格があるのでしょうか。

 つたない質問ですが、どうぞよろしくお願いいたします。




>>> 朝路真行  男  兵庫  -- 2005/01/03-06:08..No.[637]
 
     新年明けましておめでとうございます。

 毎々「お祭り好きの電気や」さんの御高察、感服いたしております。
御質問の件ですが、私も以前に不思議に思い、色々調べたことがあります。
これから申し上げるのは、その折に見聞きしたことですので、これで全てと断言できるものではありませんので、お含み置きください。

 まず角界の着物については、TVに出演するような関取クラスの物に関しては別誂えの反物がほとんどであるということでした。谷町辺りからの進呈物ということでしょうか。それ以外のものは、両国界隈の専門店から別注で反物が織られているそうです。需要が定期的にあるので、生産も可能のようです。

 旅館や寝巻き用の浴衣の生地に関しては、洋服地の転用が主だそうです。浴衣地として織られたものではなく、洋服の木綿地に後染めでそれらしい模様などを染めるので、着物地と違い、幅の変更に融通が利くとのこと。海外用土産物の殆どの浴衣が、この方法で作られているそうです。

 また紬は「シャンタン」の名前で、洋服地として売られている場合があります。洋服地ですから用途に合わせて、大体90cmから120cmの幅で売られています。

 以前、故「武原はん」さんがインドのサリー用の生地で着物を作られたと聞き、私もそれに習ってタイで求めた紬地を仕立て屋さんに持ち込み、無理を言って仕立ててもらったことがあります。その時の生地の幅は1m前後だったと思います。

 先頃、この質問コーナーの「***」さんの質問に、御参考までに記載したヤフーオークションで売られていた着物を、人に勧めた以上、物は試しと購入してみたのですが、縫製は中国で、着物を解いてみない限り断定は出来ませんが、どうやら洋服地を使った物だろうと思いました。少々、襟が薄くごわつく感じですが、普段着用には十分な物と私は感じました。

 と、取り留めのない内容ですが、お役に立ちますでしょうか?
 

>>> 優妃 讃良  女  埼玉 [URL]  -- 2005/01/03-13:36..No.[640]
 
    普通は「尺幅」といって、1尺(約38cm)ですが、尺二(45cm)とか尺五という反物もあります。この辺は普通に機にかかります。

実際に角界の浴衣やお着物を仕立てられている方によれば、最近の人はむかしに比べ小柄で、つぎをいれずとも可能になっているとか。
「でも、格好つかないから、縫いを入れるの」と言っていました。

浴衣は機械織り&染めならば、コーマ地のものが広幅(75cm、144cm)で出来ますので、全く問題ないようです。
昨年の夏、某デパートでは、裄85cmという浴衣があったとか。
 

>>> お祭り好きの電気や  男  神奈川  -- 2005/01/03-23:24..No.[642]
 
     今晩は、お祭り好きの電気屋です。

 解説有難うございます。

 なるほど、まとめ注文による特別生産と洋服地の転用ですか。
そういえばシーツやテーブルクロスは巨大な一枚布ですから
理論上はこれを染めて巨大浴衣を仕立てることも可能なわけ
ですね。

 裄850とは・・・。ほんとにスーパーキングサイズだ。

 あと、普通なら接ぎの縫い目が目立つのはかっこ悪いと思
いますが、お相撲さんの世界ではこれがないと逆にかっこ悪い
とは。人の価値観も場所によって違うものですね。

 過去にttanabe@ケンちゃんさんがフリートークで同人ハード
(パソコン)ならぬ同人着物という提案をされていましたが、
まさにこれが該当するのでしょうね。

 早坂さんの本にもありますが、機械のほうが対応可能だったの
なら何故もっと早く反物幅の規格見直しが無かったのかと思い
ます。私は旧式の織り機では対応できない為とも思っておりま
した。もしこれが行われていれば、裄不足で苦労する人も少なか
ったでしょうに・・・。

  それでは、また。
 

>>> 優妃 讃良  女  埼玉 [URL]  -- 2005/01/04-15:43..No.[643]
 
    平安時代は反物の幅は45cmでした。桃山辺りの小袖もこの45cm幅で作られています。袖裄が妙に短く、身幅はでぶでぶなのを見られた方もいると思いますが、あれは、袖と衿を一幅から取っていたから。
これが、小袖の隆盛とともに、33cm幅が一般的になり、袖を一幅で取るようになり、今の形態になっていきます。
手織り機は今でも33cmのものがありますが、今は38cmが一般的。

今でも、装束用には45cmの反物を使います。表着や直衣、狩衣などは帯に使われるような極彩色の硬い織物ですが、下の単衣や衣は普通の着物の生地と同じです。丹波で織られている縮緬も45cm幅はあるとのこと。
だから、「織らせる」「白生地から染める」といえば、可能なんです。
現在の一般的な男性ならば、45cm幅から仕立てれば問題なく仕立てられると思います。

微妙に反物の幅って変わっているんですよね。男性ものは「キングサイズ」とか「ワイドサイズ」といって、40cmや42cmのは割りと多くみかけるようになってきたと思います。仕入れていないのは、問屋や呉服屋の怠慢でしょう。

私の黒の五つ紋は男性物の羽二重地から染めたし、「裄たっぷりに」という指定で「裄2尺とんで5分」です。女物の反物からは仕立てられない裄です。

でも、普段は、よそゆきで1尺8寸5分、普段着で1尺6寸か5分を着ています。この辺の裄の決め方が、傾向的に「全て冠婚葬祭サイズ」で仕立てられてしまっているように思います。
昔は、体格の差はあれど、ほぼ同じ寸法に仕立て、着る方で加減しました。ノッポにはノッポの着付けや居住まいのコツがあるのです。

でも、親や祖父母が普通や小柄なのに子供は大柄なんてことも今の世代にはるので、このコツは伝わっていないのかも。
ウチは女系では3代続けての大柄なので、バッチリ。
 

>>> 田舎もんのトトロ  男  栃木  -- 2005/01/05-19:13..No.[651]
 
    お晩です。

うーん、ちょっと誤解があるようですので、加えます。

すべての織機が45cmの幅を織れるわけではありません。
いわゆる着尺(着物)用の織機と(洋)服地用の織機が存在します。
大体の目安ですが、着尺用の織機は尺幅(38cm弱)、
服地用がヤール(ヤード)幅(90cm)です。
ですので、服地用の織機で織れば、ヤール幅まで広がります。
大きな織機で織るので、筬を打ち込む力が強く、着尺の織機とは
風合いの異なるものとなります。
また、ちょっと考えれば、わかりますが、ヤール幅の織機で、
着尺を織るのは、効率が良くありません。そこで、着尺を二反並べ、
二反同時に織る方法もあります。幅を考えれば、十分納得できると
思います。織り上がった後、繋がってる部分の糸を抜くと、
耳ができるんです。知らないと、何とも、不思議な技術です。
こうした反物は、両端をよーく見比べると、明らかに異なりますので、
わかるとは思いますが。
#良い言葉ではありませんが、この反物、片耳だねなどと
#業界の人は言います

では、着尺用の織機で、どれくらいまで、幅が広がるでしょう。
これは、織機の製造された年代およびメーカーに依りますが、
戦前(太平洋戦争)のものは、大体、尺でしょう。
うちにあった、昨年壊した、昭和50年前後の織機ですと、
42cmまでは、可能と思います。45cmは厳しそうに感じました。

問題は、現在ある織機で、広い幅に対応できる織機がどの程度
あるかでしょうね。先の台風23号の被害のときにも触れましたが、
新たに織機を作るメーカーはないと言っても過言ではありません。
ですので、今ある織機をうまく使うしかないと思います。
仮に、作ったとして、織機1台、2百万円では済まないでしょうから、
それだけの資本を投じることができるかどうか。

それから、もう一つ、着尺は織機だけで作るものではありません。
幅に大きく関係するのは、整経機ですが、どちらかと言えば、
こちらの方が影響は大きいようです。
ですが、上にも書きましたが、服地用のものを転用できれば、
そんなことはできると、父は言ってました。
ただ、服地用の機械は、とても発展してますから、今、現在の
機械が本当に転用できるかどうかは、疑問です。
現在、服地用の織機は、完全自動で、シャトル(杼、こちらでは、
シャットルということが多い)は存在しません。
こちらを参照してください。

こちら

筬幅も随分と広いですね。着尺にとっては大切な耳ですが、服地ですと、
重要視されないことがわかると思います。
また、柄編のせーターなどを見れば、わかりますが、昔は、裏側に
出ていた糸が、今はありません。ですので、服地の織については、
相当、技術革新が進んでいます。

以前、ttanabe@ケンちゃんさんとの書き込みで、不思議だったのは、
織機や紡績機などが海外に流れたのですが、織機については
昔のままのもの、撚糸の機械は新しいものが流れたようで、何故?
と今でも思っています。もし、効率の良くない八丁撚糸の機械が
海外にあれば、お召地などはもっとあったろうにとも思います。

では、ごめんなさい。
 

>>> 田舎もんのトトロ  男  栃木  -- 2005/01/05-19:46..No.[653]
 
    お晩です。

反物の幅とは関係しませんが、織機の効率について、
書いておきます。

皆さん、機械織というと、大量生産できると思ってるようですが、
#もちろん、手織りより、大量にできますが、
一日、十時間織って、一台の織機で、一反織れるかどうかです。
ドビー、二丁杼のもの位まで。
これが、紋織りとなれば、もっと時間がかかります。
回転が上げられません。

ちなみに、上の豊田の織機であれば、機械の故障がなければ、
24時間織れる(完全自動)し、また、1日で、何百メートルと
織れるはずです。
#一反、今は、大体13m位ですね。

ですので、今のままの着尺の織り方ですと、服地に比べると、
相当に効率が良くないことがよくわかると思います。

では、ごめんなさい。
 

>>> お祭り好きの電気や  男  神奈川  -- 2005/01/06-01:42..No.[659]
 
    こんばんは、お祭り好きの電気屋です。

 解説、有難うございます。

 着物用の織機で380、洋服用の織機で900位が標準とい
うのは始めて知りました。

 豊田自動織機・・・そう、世界に名高いあのトヨタの前身
は織機屋さんだったんですね。NHK「プロジェクトX」
でもやってました。 最新鋭のマシンはインターネット連携
制御も出来るとか。時代を感じます。一方でレトロフィット
(旧式の機械を現代風にアレンジする改造)は確かに難しい
でしょうね。

 900÷2=450ということで900幅の機械で450幅×2という
のは知恵ですね。はがきをコピーするのにA2大判コピー機
を使うナンセンスと同等に考えると分かります。コピー代浮か
そうとしてA4を2枚焼くときに並べてA3で焼くなんて事を
私は時々やりますが、これと理屈は同じですね。

 でも機械を使っても昔の着物用の機械では1反/日が最高速
とは。効率が悪いというよりも、それだけ昔の人は情熱と手間を
かけて品物を作っていたわけですね。経済的理由ではなく、ソウ
ルフルな意味で昔の人が品物を大事にするのが分かるような気
がします。

 私が反物幅について疑問に思ったのは先に「新調したのに裄
が合わなかった」というレスもあり、また、古着物を見ていると
どれも着丈だけでなく裄も短めのが多い為、いくら日本人の体
格が大きくなったとはいえそんなここ10年でそんなに急激に
変わったわけでもなかろうと思った為です。元々ファッション
に疎かったのに着物をきっかけに興味がでて来たものですから
うぶな質問&解釈になったかと思います。すみません。

 そういえば昔の人はよく「着るものに体を合わせろ」なんて
言ってましたね。私は「強引だなぁー」としらけていましたが、
これも着物ならではの話なんですね。

  それでは、また。


 

>>> 優妃 讃良  女  埼玉 [URL]  -- 2005/01/06-13:40..No.[660]
 
    45cm幅を織れる機はきっと少ないと思います。装束や能装束を織るのに使われるくらいだと思うので。正絹モノは西陣や丹波、化繊は桐生や中京圏で織られています。(他にもあるかも。)

90cm幅(厳密には91cm)の洋服生地は、元々はヤール幅といって、1ヤール幅のことでした。某国王の鼻から手までの寸法で、日本の裄にあたります。
私の子供の頃はヤール幅は木綿地くらいで、シングル幅(72cm)やダブル幅(144cm)が多かったです。
シングル幅を半分にすると、36cmで、だいたい着物の尺幅になります。
背縫い代をとらないで、続きにすると、これで仕立られました。

今は、105cm幅、108cm幅、112cm幅などが主流になっています。
この辺の幅だと、2幅と半分取れるので、ここで衿を取ると、(身丈+袖丈)x2で着物が作れます。

着物の反物の良いことは「1反単位でオーダーができること」です。
正絹は1反は1単位なんですよ。化繊はもっと長い単位ですが。
だから洋服と違って「織るとこから頼める」という利点があります。

「新調したのに裄が合わない」は、「きちんと採寸していない」とか、「洋服の袖丈並を期待してた」といった、着物を今まで着たことのない人によることもあると思います。呉服屋さんの話しでは、「長めに作っておかないと、裄が足らないと返品される」という話も聞きました。
私は新しい店でオーダーする度に「この裄、身丈でいいんですか?」と必ず聞かれます。
また、裄ばっかり優先すると、袖の形状が縦長長方形から正方形、更に横長長方形へと、間抜けた形状にもなります。

「着る物に体をあわせろ」は着物においては適切ですね。
でも、ノッポ向けの所作を教えてくれる着付教室ってないんですよね。
 

>>> 田舎もんのトトロ  男  栃木  -- 2005/01/06-21:41..No.[665]
 
    お晩です。

織の話ですので、興味のない方が多い、あるいは、読んでもわからない方
が多いかなと思いましたが、お祭り好きの電気屋さんと優妃 讃良さんが
興味を持って戴いているようなので、もう少し、書いてみましょう。

まずは、能装束の幅を教えて戴きありがとうございます。
北村 武資さんが伝統工芸展に出品してらっしゃる羅の幅が
広いこと、合点がゆきました。

桐生で織ってるんですか、どうなんだろう。
#勤務地は桐生です。
インドの高級サリーを織っているのも桐生ですし、
織の技術の高さは今でもありますから。
街中を歩くと、ジャガードの機が動いているのを
時折、耳にします。何を織ってるんだろう。

一日一反しか織れないこと、やっぱり、ご存知ないですよね。
呉服屋の主人、若旦那も、知らないですからね。
シャトル(杼)を使わなくなったことは画期的で、
生産力がとんでもないほど上がりました。
でも、これも、今の話ではなく、もう随分前のことです。
20年位前にはあったようですよ。
うちの近所で、浜松に見学にしに行った人達がいて、
魂消ちゃったと聞いています。
ああいう風に、資本投資しなきゃダメだよなと言ってましたね。

先のページも書かれてますが、シャトルを使うと、とんでもない
騒音になります。シャトルを左右から、クランクとスプリングを利用して、
打ち出すんですから。私も、家の手伝いをしていて、モーターの
電源を落としたとき、耳の奥で、ガーンと共鳴していたのを
覚えてます。ですので、うちの近所で、機に従事していた人たちは、
皆、難聴気味です。一種の職業病ですね。

つづく
 

>>> 田舎もんのトトロ  男  栃木  -- 2005/01/06-21:42..No.[666]
 
    でも、実際、こちらでは、不思議なほど、資本投資、新しい織機の
導入は少なかったですね。どうしてだろ?
実際、私の父が織機を導入したのが、昭和39年。
資本が少ないですから、中古の織機。
当然、戦前のものです。確か、愛知○○(工機だったかなぁ)と
鈴木の機械。
#なぜ、戦争で織機が潰されなかったか不思議ですね。
鈴木は、今、自動車メーカーのスズキです。
当時、地方にも、織機メーカーはあったようですが、
やはり、愛知、浜松周辺のものが進んでいたようです。
他、山田ドビーのように、会社名にドビーのつくところが
ありますが、これも、ドビー織に使う機械を作っていた会社です。
現在、多くは、産業機械を製造する会社になってることが多いようです。

まぁ、39年ですから、戦前の機械が使われていても仕方ありません。
その後、うちの近所の多くの家に、織機が入りますが、ほとんど
中古でした。うちが、八王子のメーカー(八王子は織が盛んでした)の
ものを入れたのが昭和49年位だったでしょうか。これは新品でした。
うちの父の周り、数人が導入しただけでしたからねぇ、小幅ものは。
たぶん、小幅ものとしては、最後の頃と思いますよ。
#この頃、機をやめた方も結構います。
皆さんご存知と思いますが、八王子は桑の都と呼ばれるほどの
養蚕の産地だったのです。
両毛線(開通当時は私鉄)、八高線、そして、横浜線は、
繭、絹、そして、絹織物を運ぶ重要な鉄道だったのです。
八王子も、私大の移転など開発が進み、機屋さんも減りました。
当然、織機メーカーもなくなりました。

広幅(ヤールではなく、もっともっと広い、カーテンなどを織るもの)を
導入した方もいらっしゃいましたね。それも同時期だったんじゃない
ですかね。

うちが小幅織機を入れて、そうですね、昭和61年頃まででしょうか、
本格的に織れていたのは。何軒かの織元は夜逃げをしちゃいましたね。
男物に限らず、劇的に、需要が減りましたね。
その後は、母だけで、平成10年頃まで、ちょぼちょぼと織ってましたが。
今、男物が少ないですが、その頃、今のような声が上がっていれば、
もうちょっといろいろおもしろいものが残ったと思います。

年末、小紋のお代を納めてきたとき、呉服屋さんで見せてもらいましたが、
西陣のすばらしいお召しに出逢いました。網代で、糸は極細いものでした。
こういうのは、機械でなきゃできない、良いものと思いました。
幅は40cmありましたが、どちらかというと、女性のコートを狙ったものの
ようでした。でも、さすがに、糸質が良いので、結構な価格になって
しまうようです。

話がまとまりませんが、このあたりで。

では、ごめんなさい。
 

>>> お祭り好きの電気や  男  神奈川  -- 2005/01/08-01:38..No.[670]
 
     こんばんわ、お祭り好きの電気屋です。

 田舎もんのトトロ様、優妃 讃良 様、レス有難うござい
ます。

 ちょっと知ったかぶりになりますが、戦時中に機が壊され
なかったのは恐らく軍事物資の生産があったからでしょう。

 戦争末期になりますと、すべての輸入がストップして物不
足になりました。鉄鋼もそうで、軍艦などを作る為に、日本中
にあるあらゆる鉄製品が軍に没収されました。 なべ、釜と
ごろか、仏閣の釣鐘まで供出したそうです。

 このことから考えると、「鉄のかたまり」とも言える機械が
残ったのは一見不思議ですが、一方で軍服なども増産しなけれ
ばならなかったわけです。

 軍服を作ることを優先した為、日本中の綿が足りなくなり、
ついに庶民は「スフ」と呼ばれる粗悪な再生繊維しか手に
出来なくなりました。(勿論絹なんぞもっての他というこ
とです)

 そして、すべての産業は軍事優先でした。そのため、恐らく
無理に増産を命令されるか、軍に没収されて軍事工場で稼動
していたものと思われます。個人所有の無線機ですら没収
され、軍用として使っていた始末です。(もっともこれは
情報統制の意味が大きかったわけですが)

 アメリカ攻撃用の気球を作る為、日本中の紙とこんにゃくが
集められたというのは有名な話です。(いわゆる「風船爆弾」)

 尚、念のため申し添えますが、私は今32歳。当然戦争はおろ
か戦後混乱期も経験していない世代です。ただ、いろんな所や
人から戦争の恐ろしさ、ナンセンスを伝え聞いています。知れば
知るほど平和の尊さ、タカ派のアホさ加減がわかってきます。

 最近の国会の論議を聞いていると何気にきな臭い匂いがして
きますが、本当にそんな時代には戻して欲しくないものです。


 前にフリートークで「もう少し早く盛り上がってくれれ
ば・・・」という旨の話をされていましたが、平成10年頃
、ということはおおむね10年前。その頃までがんばって機
をされていたということで、改めてトトロさんの思い入れの
深さを感じます。私なんぞ本当に足元にも及びません。
「お直しおばさん」の話で「もっと早くみんな着てくれれ
ば・・・」というのがありましたが、そういう意味なんですね。
「もう少し頑張っていれば」「もう少し時の流れが違ってい
れば」ということなのでしょうね。

 さすがに話を外しすぎました。あとはフリートークコーナー
のほうが良いかもしれません。 とりあえずこの質問の件につ
いては、有難うございました。