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 ■--袴着用時の帯の高さ
 >>>fqk  男  北海道  -- 2004/07/07-01:53..No.[204]
     いつぞやはお世話になりました。
 つらつらとオークションサイトを眺めるに、長着は138、9までが多いのに、袴は紐下85、6が目に付きます。よほど足が長いひとが多かったのならともかくなんとなく計算が合わない気がしてなりません。袴着用時には帯を高く締めるといった習慣などあったのでしょうか・・・?




>>> 優妃 讃良  女  埼玉  -- 2004/07/21-15:22..No.[236]
 
    袴下85cmというと、2尺2寸ですね。これは、標準的には、163cmから165cm位の人向けです。昔の男性の身長としては並です。
165cmだと長着は3尺5寸、133cm位ですね。
袴は、腰に締めた帯の上端よりも一つ上に結ぶようになります。
ですから、帯位置は同じでも、袴腰の位置はそれよりもずっと高くなるわけです。
 

>>> fqk  男  北海道  -- 2004/07/27-22:04..No.[243]
 
     御教示感謝。
 が、まだなんとなく腑に落ちません。
 当方169センチ、58キロほど。足が長いほうではありませんが、ま、昔の日本人体型かと。
 で、長着の丈が、くるぶしを挟んで145〜148ぐらい。
 ウェストにずり上がらないよう腰骨に引っ掛けると、帯は上端がへそ下にならざるを得ず、と、袴下はくるぶし上まででほぼ80センチになります。
 165に133ですと袴下着物としてはともかく着流しにしたらつんつるてんかと。
 163から165に85だと、くるぶし下で、ゲタを脱いだらひどいことになるような感じがします。
 で、袴の上端は、帯の上端の上なんでしょうか。そうすると帯に扇子なり刀なり差すのに大変ではないでしょうか。袴の上と帯の上をそろえるか、あるいは袴から帯が1センチほど出るぐらいではなかったかと。仮に帯の上端から袴の紐部分が出るようにすれば3センチほど変わってきますが、すると、肥満でない限り、剣道の袴や女袴のようにウェストまでずり上がっていくような気がしてなりません。指袴や奴袴ならともかく、近世以降の半袴、切袴もそうだったのでしょうか? するとどうやって帯にモノを差し込んでいたのでしょうか。
 重ねてご教示賜れば幸いです。
 

>>> 会者定離  男  愛知  -- 2004/07/29-09:42..No.[245]
 
    小笠原流礼法の書物を見ると、袴は前紐を帯の少し下に着けるとあります。fqkさんの仰る「袴から帯が1センチほど出るぐらい」ということですね。小笠原流的にはfqkさんはまったく正しいわけです。

とはいえ、小笠原流以外にも袴の着け方には様々な流儀があるかもしれませんから、帯を袴で覆ってしまうのが間違いだと決めつけることはできませんが、少なくとも最近の着付けは、袴を着け慣れない人が貸衣装等で着用したときに裾を踏んで脱げてしまうのを多少なりとも防ぐためという意味合いがあるように思います。(まったく私の想像ですが…)

fqkさんが疑問に思われた「袴着用時には帯を高く着けるのか?」という点も、座らずに椅子に腰掛けるパーティー(最近の結婚披露宴は大抵そうですね)では、スマートな体形の若者ほど帯が上がってきて着崩れてしまうので、袴着用時は帯位置が目立ちにくいのをよいことに、最初から腹に帯を巻いて着付けてしまうのではないでしょうか。

ソファーのように深く腰掛けたり尻が落ち込むタイプの椅子だと、どんなに着慣れた人でも多少は帯が上がってきてしまうものですし、ましてや結婚式で初めて袴を着けた新郎に対しては、最初から七五三の幼児のような着付けにしておく方がラクなのでしょう。

オークションに出品される古着は大正末から昭和の品が多いようですが、上記のような着付けの変化が一般化し、身丈に対して随分長い袴が増えたのはこの時期ではないかと私は想像しています。

ハナシは逸れますが、袴紐の十文字等の結び方(というより畳み方)は紐の損耗を嫌った近代の貸衣装屋が普及させたものだというのはよく知られたハナシですが、小笠原流宗家も武士は結び切りに限ると仰っておられます。従って私はいつも(礼装でも)結び切りにしています。

そもそも、武士はイザというときに解けて困る紐は固く結び、さっと解けないと困る紐は工夫して結んだのものです。例えば、戦闘時に脱げては困る袴の紐は結び切りで固く、さっと脱ぎ捨てなければならない羽織の紐や直垂の胸紐は片手でパラリと解けるようにしました。

ちなみに小笠原流では袴紐だけでなく帯の結び方も無骨で堅固です。それに比べると、貝の口等は(袴紐の十文字同様)結び方と言うより装飾的な畳み方に感じられるほどです。

なにしろ、結び切りはカジュアルなんだという誤った理解が広まるのは困りものです。衣服としての実用性による必然ですものね。

長文失礼しました。
 

>>> fqk  男  北海道  -- 2004/07/29-17:54..No.[247]
 
     ご教示感謝。
 お説のように考えるとなるほど納得がいきます。
 

>>> 会者定離  男  愛知  -- 2004/08/13-19:25..No.[261]
 
    今、少々調べものをしていて、過去の帯の高さについての記述を見つけましたのでご参考までに。

前回書きました書物とは別のものですが、やはり小笠原流の書物に「…但し古の帯(上の帯)は腰骨の上にしめましたので、只今の様に腰骨と肋の間の骨のない部分にしめたものではありません。」という一文がありました。

この本が書かれたのは昭和15年頃ですから、昭和初期の男性は随分高い位置に帯を締めていたことがわかりますね。(帯を高く締めたのは袴を着ける時だけだったのかどうかということは不明)

※引用文中の「上の帯」というのは下帯(ふんどし等の下着)と混同しないための注釈でしょう。
 

>>> fqk  男  北海道  -- 2004/08/19-02:15..No.[269]
 
     再度のご教示、重ねて感謝です。
 とすると、昭和初期に、期間や程度やシチュエイションは別として、「ウェストに帯を締める」習慣があった、ということなのですね・・・
 この時代なら写真も多くありますから、機会を見つけて確認してみようと思います。
 

>>> くにえ  男  東京  -- 2004/09/26-17:14..No.[334]
 
    くにえと申します。

この件、非常に興味深く拝見させていただいておりました。
と申しますのも、自分の体型に照らしても(昔の人より足が特別短いとは思えない)、古着で買う着物は総じて内揚げの位置が高いものが多く、なぜだろうかと思っておりました。

また新しいものでも、帯の位置を見ないで仕立てるようなところや、プレタのものでも結構高い位置のものが結構あります。

これらは寸法や帯位置が高い時代の着方が、標準寸法として一人歩きしたとするとなんとなく納得がいきます。

「昭和15年頃ですから、昭和初期の男性は随分高い位置に帯を締めていた」という写真などがありましたら見てみたいですね。

では...