随筆 蛇の目傘 1999/11/23

By 上野山 謙四郎 さん

 私がいま住んでいる海南市(和歌山県)は漆器の産地として知られているが、以前はこの他に和傘も作っていた。子供のころ路地の奥に空き地があり、そこには油紙を張った沢山の傘を天日干しで乾燥させていた。
 今は漆器もプラスチックが主流になり、和傘はすたれて地場産業は見る影もない。
 竹の桟に油紙を張ったものは番傘と呼んでいたが、何かの拍子にものが当たって破れると修理もできずゴミになった。これは風呂の薪に使うとよく燃えた。当時の油紙は厚くて水分を通さなかったから、傷口のガーゼを当てた上から覆うのにも使われた。つまり医療材料にもなった。
 黄色の油紙は、墨で字を書くことができたので、傘には自分の名や屋号などを書いた。 私の実家は眼科医で待合室の土間には「上野山眼科」と大きく書いた番傘が何本も置いてあった。雨が降り出すと患者さんはそれを差して帰ったが、「有り難うございました」と言って後日返しにくる人もあり、返さずにそのままの人もかなりあった。
 子供の私は祖母に尋ねた。
「おばあちゃん、あんなに傘をみんな持って帰ったら、うちが損するのと違う?」
 祖母は笑って答えた。
「謙四郎、よくお聞き。あの持って帰った番傘は、皆の家にこれから長くあるんだよ。田舎の人はものを大切にするから、傘でも長持ちする。そしてね、雨が降るたびにあの傘が使われる。傘を広げると、上野山眼科の大きな字が見える。皆が傘を使ってくれるほど、うちの宣伝になるんだよ。覚えておきなさい」
 祖父は立派な眼科医だったが、流行ったのはこうした祖母の経営感覚だった。
 いま使い捨ての傘が多いが、同じアイデアは見たことがない。  さて孫の私は同じ眼科医で、和傘を一本持っている。いまの時代和傘などは売っていない。入手するには専門店に注文しなくてはならない。先日田舎のデパートで着物を誂えたおりに蛇の目傘を頼んだら、京都にありましたと届けてきた。
 その和傘たるや番傘のように重く不細工でない。艶があり、細手で見るからに優雅だ。
 男物と女物があり、これはもちろん男物。広げると全体に鮮やかな水色で、桟にあしらわれた赤い糸が粋で、何やら艶めかしい雰囲気を醸し出す。
 いまこの手の蛇の目傘を見るのは結婚式の演出で、ホヤホヤの夫婦が相合い傘で登場する場面に使われる。
 その蛇の目を差すのはもちろん雨のときだが、ドシャ雨ではなく小降りでないと無理だろう。
 先日いつもの握り寿司に行こうと出たら、雨が小降りだ。紺の結城に下駄をつっかけ、蛇の目傘を差して暖簾をくぐった。それを見たおかみさんが「素敵だわ」と感激で亭主共々話がはずみ、寿司も酒も一段と美味しく楽しい一時を過ごした。
 これで相合い傘のできる和服の女性と知り合いになれば最高だが、この年寄りにはそんな粋狂なお方は現れず残念至極。
 ひとつこの格好でナンパに行こうか。           (平成11年11月記)