町人の紋付の話

町人の紋

「黒紋付羽織袴と紋の意味」でも、紋についてのお話を書きましたが、僧侶の方から、伝統的な町人紋についてのお話を頂きましたので、原文のまま以下にご紹介します。

HPの礼装のページで少し気になるところがありますので書いてみたいと思います。それは「黒羽二重、染め抜き五つ紋付きの長着と羽織に仙台平の袴をつけた服装が第一礼装と呼ばれる、男性の和装において最上の格の着物です」との記述なのですが、現在ではこの通りなのでしょうが実は次のような話があるのです。

京都の祇園に「一力(いちりき)」という超のつく一流の貸席(宴会を楽しむ所だが、料理は料理屋が来て作り、舞子・芸子を呼んで、場所のみを提供する料亭)があります。この「一力」のオーナーである杉浦家の分家筆頭の杉浦貴久造氏の秘書のような仕事をしていたことがありまして、このとき杉浦貴久造氏より聞いた話なのですが、杉浦氏があるとき紋付きの一式を新調して本家の行事に出席したそうです。すると翌日本家の当主である杉浦治郎右衛門氏より呼びつけられ、「貴久造。昨日は何を着て居ったんや。お前の紋付きには紋はいくつ付けてある」と言われ「はい新しく作った紋付きで、五つ紋ですが、それが何か」と答えると「五つ紋とは武家の紋付きや。町人は三つ紋というのが昔からの決まりや。我が杉浦家は代々由緒正しい町人の家や。何を血迷うて武家のまねをするか」とさんざんに叱られたそうです。しかたなく貴久造氏は新調の紋付き一式を破棄して、また新たに三つ紋の一式を作って本家に見せに行きました。するとそれを見た治郎右衛門氏は満足げに「よしよしそれでええ、だけどお前も散財してかわいそうやったな」とその一式分の費用をポンと出してくれたそうです。

これを貴久造氏より直接聞いたときは、さすが「一力」の杉浦家は町人としての高い誇りを持っているものだと感心したものでした。このように本来は紋付きにも町人・武家の違いがあったのではないかと思えますが、現在では何に限らず五つ紋になってしまっているのでしょうか。もっとも昔と違って戸籍に士族・平民なんて書かれたりしなくなり、たいていの家は先祖は武家ということになってしまっておりますし、それでよいのかも知れませんが、治郎右衛門氏のような代々由緒正しい町人としての誇りを持っているのは、本当はどうでも先祖は武家だとしておこうというのより、だんぜんかっこよいと思うのです。私なんかは息子に家の先祖は由緒正しいお百姓さんと教えておりますし、坊さんは紋付きを着る機会はほとんどなく、衣につけるのも宗派の紋ですからこんなことでは悩まなくて済むのですけれど。

現在の礼装における紋

現在の礼装紋付の謂れについては別頁で説明した通り、比較的最近の決め事です。五つ紋自体については、やはり武家社会での習いが踏襲されたことのようですが、「一力」さんのお話のように、すべての町人紋付が三つ紋かどうかはわかりません。しかしながら、これはこれで京都らしいお話だと思います。なお、町人でも場合により裃も着用していたようですが、日常で格式を意識することの少ない一般庶民は紋付も含め、総じて「一張羅」の一括りだったような気もします。ちなみに、こうした伝統や風習に起因する話は別として、三つ紋は現在一般にはやはり略装とさ れています。

ところで、誇りを持って和服を着るという精神は、大いに見習いたいものですが、日常着の世界にまでこうした話を結び付けつけて考える必要はありません。伝統や格式を重んじる世界と日常きものを楽しむ世界は別物だと考え、両方大切にしていく心を持ちたいものですね。