5.思い込みをリセットしよう
では、「着る機会が無い」「着ていく場所がない」「着ている人が少ない(目立つ、恥ずかしい)」という問題はどのように解決すればよいのでしょう。
実は正直なところ、私としてはいずれの言い分も、もはや着ないための大義名分に聞こえます。つまりこれらは問題でも課題でもなく、着る勇気一つで片付く話だと言えるのです。
着て行く機会や場所は、誰かに与えてもらうものではなく、自分が着たいと思った時に行きたい場所に着て行けばいいだけの話で、要は自分次第でいくらでも解決可能なことなのです。和装で立ち入ることを許してもらえない場所は、私の知る限り国際ルールを盾に取るゴルフ場くらいですから、洋服と違う世界を想定する必要はないのです。
多くの人が心配するのは、恐らく服装に関する約束事が不透明なため、恥ずかしい思いをしないかとか、失礼にならないだろうかといった問題であろうと思われます。しかしながら、これもことごとくその場で指摘できるようなきもの通の人が必ずいるとも限らないわけですし、そもそもそういうことを気にしていたのでは、いつまでたってもきものは着れません。約束事に関する問題については後で詳しく述べますが、実際には、必要以上に気にすることはないのです。何度も言うように、和服は衣服なのですから、「自分が着たいと思った時」、まさにそれが着る機会だと考えましょう。
私の経験では、実際には皆さんが思うほど誰もジロジロ見る人はいません。確かに中には、失礼な態度で和服姿の人を観察する種類の人もいるようですが、そんな人に出会ったとしても、何も後ろめたいことがあるわけではないのですから一切気にせず無視するに限ります。私などはむしろもっと注目して欲しいと思うほどです。あまりにも反応がないとなると、一体どんな風に人の目に映っているのか尋ねて確かめてみたいと思うくらいです。
実際、身長一八四cmもある私は只でさえ目立つはずですが、そんな私が和服姿で新幹線のホームに立っていても、ほとんどの人が平静にその存在を受け入れているようで、不思議な顔で見られたことは実は一度もありません。稀にレストランなどで、隣の席から覗き込むような視線を感じることがありますが、そのほとんどは、憧れを伴った好意の目であることを感じます。むしろ大袈裟でなく、和服で出歩くと待遇が良いことの方が多いのです。
いずれにしても、着物を着るのが恥ずかしいという思い込みは、そろそろリセットした方がよいでしょう。和服姿の男女を悪く思う人はほとんどいませんし、きものは本来、着る人にもそれを見る人にも、和やかな心を与えてくれる素敵な要素を持つ服なのですから。
実は、着物を着ない理由を一掃することができる最も簡単な方法は、度々出会えるきもの仲間を持つことです。一人でも二人でも構いません。夫婦や恋人同士でもいいのです。勇気を出して身近な人に打ち明ければ、意外と簡単に見つかるかも知れません。お正月やお祭りなど、和装が違和感のない日を狙って誘うのも一つの手です。呉服屋さんで知り合った初対面の人同士が、そうした仲間になることも多々ありますし、昔と違ってインターネットで仲間を探す事もできます。自分なりの方法で、そうした仲間を見つけるための行動を今から開始してみましょう。とにかく一人でもそうした仲間さえできれば、きものを着ることが楽しくなることは間違いありません。イメージだけの和装から、アクティヴな和装へと急激に展開することでしょう。窮屈な洋服だけ着て過ごす人生なんて、もったいないと思いませんか。
つづく
2002.10.20掲載