3.和装にもっと自由を!

和装に関して思うことに、見えない不自由さもあります。わかりやすくいうとTPOと着物の格式のことです。和服の場合はその形状などよりも、素材や取り合わせによって格が決められており、どんなに自由な発想で新しい和装の提案をしようと試みても、そこにTOPが入ってくると自ずと格の問題がちらつきます。このホームページでも一般論として和服の種類を紹介していますが、個人的にはそうしたキマリゴト中心の解釈から入る和装の提案は、そろそろ考え直してもよいのではないかと思っています。洋服を着る人にもブランドや系統の好みがあるのと同じように、和服にも、もっと自由で幅広い活用を望みたいからです。

和装に詳しい人は昔からのしきたりや、礼儀としての作法を心得て、和装の種類と着こなしを正しく継承しようとする雰囲気が今でも感じられます。もちろんそれは大切なことで決して否定するようなことではありません。けれども現在この国で、そうしたほんとうの意味での純粋な和装知識と感覚を身につけている人がどれほどおられるでしょうか。和装についての格式や和装品の取り合わせについての問題が分かりにくいこと、そして何よりそうしたことはほとんど学校教育(着付け教室のことではありません)では教えてくれないことなので、身近なこととして捉えにくいのではないかと思うのです。もっと極端ないい方をすれば、和服を着てみたいと思う人にとって、それらは大して重要なことではなく、下手をすると、着たいと思う気持ちを妨げる要因にもなりかねないということです。

つまり、礼装以外のことに関しては、少し乱暴な言い方をすれば「なんでもアリ」で良いと思うのです。礼装に限って言えば、洋服の世界にも同様に決まり事やマナーが存在しますから、和装の場合もそれに準じて考えれば納得できると思います。しかしながら、普段着やおしゃれ着、外出着といったファションアイテムとしての装いにまで、和装の自由を奪うような指示説明は全く不要であり、それよりも和装そのものの「楽しさ」をもっと主張すべきだと考えます。それにはやはり、着る人の気持ちに歩み寄った提案とアドバイスが効果的ではないでしょうか。

たとえば、浴衣はもともと肌着に近い感覚の衣服で、浴衣を着て街に出かけるなんて考えられないという方もおられると思います。ところが今では、浴衣も手軽なファッションとして流行し、奇抜な色柄の浴衣を若者たちは平気で街着として利用しています。平たく言えば、こういう現象もアリでいいのです。これを指摘して正そうとするよりも、そういう若者がもっと気軽な感覚で和装を取り入れられる環境を、逆にもっと提供できることの方か遥かに好ましいことだと考えます。

素材の格式もやっかいな問題です。呉服を商売にしている人でなければ着物の素材にしても、紬かお召かウールかなんて見ただけでは分からないでしょうし、触ってもわからないことだって多いと思います。そもそも、そういう素材の種類があること自体どれほど知られているのかと疑問に思う程です。たとえば、どんなに高価なものでも、紬の着物は格としては普段着ですから、大島紬や結城紬も礼装としては着られないことになります。安くても格式はお召と呼ばれる着物の方が上なので、これならいいと。こうした事実は、和装の世界を知らない人には、きっと理解に苦しむことでしょう。

さらに、和服は品質対価格の正当性が素人には分からない商品の一つでもあります。格式と値段が全く別の次元で語られる商品でもあるため、余計に商品価値をわかりにくいものにしているようです。とにかく、和装の専門書などで紹介されているような、TPOに合わせた和服を、それも夏冬揃えて一通り持っている人なんて、そう滅多にいるもんじゃありませんから、良い悪いを指摘される以前に、自分の持っている和服が利用できる状況というのが自ずと決め付けられてしまうことにもなります。格式を重んじる伝統行事や芸能関係、結婚式の新郎の衣装くらいはともかくとして、あとは逐一マニュアル通りでなくてもよしとするような融通性がないと、これでは、着物の世界はよくわからないしタイヘンそうだで終わってしまいそうです。もうすでに実践されている方もおられるでしょうけど、手持ちの着物を着たいように着て、行きたいところに行ったっていいんじゃないでしょうか。そもそも男の第一礼装の紋付袴にしろ、明治になってからあれを規定したわけで、それ以前にはそんな規定があったわけではないのですから。江戸時代にだって、今では考えられないようなファッションが流行っていたようですし、意外にも現代が、和装に関して最も厳しいことを言う時代なのかも知れません。

しかしながら、なんでもありとは言え、みっともないほどだらしないのは和洋限らず困りますが、所詮目に付くのは色柄の取り合わせと、着付けた状態の外見的な美的バランスの問題です。これらの要素に限ってみると、これはもう洋服と同じで好みとセンスの問題だと思います。最近の洋服のファッションにしても、とても私には真似の出来ないスタイルが流行ったりしますが、あれはあれで着ている本人たちがそれで気分いいのなら、趣味や価値観の違いで済むわけで、和装もいくぶんはそういう感覚で捉えてもいいような気がします。こと和装となると、常に何かしら気にかけながら着ないといけないとなると、疲れてしまうと思います。和服を気軽に着るために、そうした目に見えないことがもっと気楽になるといいですね。

価格のみならず、こうした目に見えない不自由さが和装の世界の敷居をより高いものにしていることも事実だと思われます。私の知る限りでも、最近はこうしたイメージを緩和するための様々な努力や試みがなされているようですが、本当に知りたい人に、それらの事がうまく伝わっていないのは残念な気がします。「日本の伝統」というキーワードを用いることも、日常着として和服を捉える場合に限っては重荷となるようです。我々消費者も、もっとよく和装業界の現状を知り、実現可能な提案をしていくことが、そうした状況に一石を投じるひとつの力にはなると思います。

和服は本当に素晴らしい「衣」のアイテムです。私はそんな和服が好きで好きで仕方ありません。だからこそ、和服を特別な服装にしたくはないのです。もっと自由な感覚で和服を捉え直しましょう。和服への夢と愛情を持って。

1999年4月4日 掲載