6.周囲との協調
ところで、着物を着る本人ではなく、家族をはじめ、周囲の人がこれを反対するケースとなると違った苦労にぶつかります。着物や和装そのものを否定するほどではないにしろ、目立つから、人と違うから、お金がかかるからなど、およそ和装自体の良し悪しとは別の観点からの理由で反対されるケースに困り果てている人も多いことでしょう。
実は私の妻もそういうタイプで、着物を着ること自体に反対はなく、肌着の洗濯やアイロンかけまでやってくれるのですが、一歩でも家を出るとなると、和服姿の私と一緒に町を歩くことに執拗な抵抗があるのです。彼女自身、自分で着ることも人に着せることもできますが、結婚してから着物はほとんど着たことがありません。理由はやはり目立って恥ずかしいからというものですが、現代では実に標準的な思考の持ち主であると言えます。
結局、妻と外出する時だけ、しぶしぶ洋服に着替えて出かけると言う面倒なことをしていますが、ここで無理に意地を張ると、夫婦喧嘩になってしまうのは目に見えているので、余計な精神疲労を避ける意味でも無理強いはしていません。時間が経てばいずれは考えも変わり、自由になるだろうと楽天的に考えて来ましたが、最近になってようやく犬の散歩程度なら理解を示してくれるようになりました。
何事に限らず、他人の理解を得るということは、価値観の相違を克服することだとも言えますから、自分で着れないとか着る機会がないとかいったことよりも、はるかに解決が難しいものです。和服を着る着ないは個人の自由ですが、周囲の空気は決して無視できるものでもありません。身近な者同士ほど、お互いが毎日楽しく気持ちよく暮らしてゆくことを優先することも大切なことですし、それもやむを得ないことと割り切るのも一つの勇気であると言えます。少なくとも今は、まだまだそうした社会的な理解が得られているとは思えないのが現状ですが、そう遠くない将来、和服も洋服も当たり前な服装としてこの国で受け入れられることを願いたいものです。
つづく
2002.10.20掲載