左前

右前に着るデザイン

着物は洋服と異なり、男女ともワンピース形状の衣服を、前を左右に打ち合わせ、帯を締めて止めるという形式で着用します。洋服の前合わせは男女で左右が違いますが、着物は男女とも右前(みぎまえ)に着ます。着物は確かに左右対称の構造ですが、右前に着るデザインの衣服として、私たちは遠く祖先の代から着用してきました。

そもそも、右前・左前(ひだりまえ)が意味する「前」とは「手前」のことです。これは、着物を着る人自身から見て、左右どちら側の布地を先に自分の肌に密着させるかをいう言葉です。鏡に映る姿や、ビデオ動画を見ながら覚えると左右を間違えやすいので気を付けましょう。

着物を右前に着る手順は、着る人自身が右手で持つ布を先に体に重ね、次に左手で持つ布をその上から重ね合わせます。すると、以下の画像「右前に着た様子(正)」のような衿の重なり方となります(着ている人自身から見て右手側の衿が下、左手側の衿が上に重なっており、これを「右前」といいいます)。


↑ 右前に着た様子(正)


↑左前に着た様子(誤)

なぜ右前に着物を着るようになったのかは諸説ありますが、歴史的には、奈良時代の養老三年(七一九年)に出された「衣服令(えぶくりょう)」という法令の中にある「初令天下百姓右襟」という一文がその起源であるとされています。日本ではこの時から「庶民は右前に着なさい」とされ、着物を右前に着ることが定着したものと考えられています。

この背景には中国の思想の影響から、左の方が右より上位であったことから、位の高い高貴な人にだけ左前は許され、庶民は右前に着ていたという経緯があり、それに倣って聖徳太子がこれを日本でも普及させたのだとする一説があります。 当時の高貴な人々は、労働的な動作は必要がなかったため、左前でも支障がなかったものと推測されますが、実は左前に着ると動きにくいという事実があり、庶民は労働の必要性からも自然と右前でなければ不合理であったため、庶民には右前を推奨したのでしょう。これは、実際に着比べてみるとわかりますが、左前に着ると、非常に動きにくく、衣服としての役目をある意味果たさないのです。着慣れるほどにこの事実は理解できると思います。

別の説では、右前・左前は古代中国で西方の蛮族との区別をするために、蛮族の着装法であった左前を右に変えたのが始まりというものもあります。当時の彼らは右手で弓を射る時に邪魔にならない左前に着ていたとする説ですが、信憑性のほどはわかりません。

いたって単純な理由である「ほとんどの人が右利きだから」という説についてもいささか疑問が残ります。確かに「右前」に着れば利き手をすぐに懐に入れられますから、これだと手拭いなどをすぐに出し入れできるので非常に合理的ですが、それならば左利きの人は、左前に着たほうが都合がいいわけで、多数決で右前が定着したとは考えにくい気がします。また、奈良時代以前の古墳時代には確かに右前と左前が混在していました。しかしながら、埴輪に見られるような上半身だけの衣服の場合は、長着状の着物と異なり、動作上の問題は生じにくかったことが理由と考えられます。

なお、「左前は死人の装束だから」という説明が、最も広く知られているものと思われますが、これには少々誤解があります。もともとこれも古い中国の思想に由来するもので、人は死ぬと平等なのだとして、誰でも死ぬと位が上がって神や仏に近づくとして、着物を貴人と同じ左前に着せてあの世に送り出したという古事によるもので、単に死者と同じ着方をすること自体に対して縁起が悪いとしたわけではないのです。

今でも時折、温泉旅館の浴衣を左前に着た人がいたり、ポスターの着物のイラストが左前だったりと、何かと気になる左前ですが、着物はやはり右前に着ることでその魅力も機能性も最大限に引き出せる衣服であると思います。

左前の着姿。着心地に違和感を感じます。