随筆 和服を着る 1998/04/01

By 上野山 謙四郎 さん
「路考茶縮緬に一粒鹿の子の黒襟、白しゅすの半襟をひきたたせて、袖から緋縮緬の襦袢を色っぽくちらつかせた粋な町方女房」
これがスラスラ読めれば大したもの。国文学専攻か和装に造詣が深い方。某作家の文章を引用したが、着物は奥行きが深く色々ありますねえ。とても覚えられない。
皆さんテレビでご存知でしょう、あの映画監督の某氏。 背が高くハンサムな上に、出演の折りには必ず和服でピシっと決めて来る。かねがね思っていた、私もいつかは着てみたい。しかし体型が監督氏とは大違いで、お腹の出たチンチクリン。ぶざまな上に顔も締まっていない。私も子供の頃は木綿の絣(カスリ)で、中学では剣道をやらされ(総理大臣になりたくてではない、戦時中の武道教育の一環)、袴を締めた覚えはある。しかしお蚕さんから作った絹の着物など、金もなく機会もなく、とうとう七十近くなった。
家内とテレビを見ながら言う、
「着物も悪くないなあ」
「オ父チャン、いいわよ、着なさいよ。ワタシ買って上げる」
奥方はお買い物が大好きでござる。自分のものは着物、宝石、油絵、など欲しい物は一通り購入してしまった。デパートの外商が良いカモとばかりしょっちゅう来ては売りつけてゆく.次は家族にと思うらしいが、娘は何でも実用一点張りで、ブランドは嫌い。一方亭主は機械物は凝るが、衣類、宝石、には興味なし。旦那がそんなものを買いだしたら、渡辺淳一氏の小説「化身」と同じで、若い女に入れ揚げていると思え。
「オ父チャン、大島の良いのがあったから買っといたわ。寸法取りに行ってらっしゃい」
言い付けに従いデパートへ。和服売り場ではメートル法でなく、尺寸で測られる。
「いったいどんな生地を注文したんですか? 頓狂な柄と違いますか?」
見せてもらったが、まあまあ無難な色と柄、家内にしてはまともな選択と一安心。
帯も買ってくれたが、大島より高価だという。一見何の変哲もないしろものだが、これが実は和紙の繊維からできているそうな。まだ帯の締め方も知らないというのに。
「オ父チャン、足袋は何文だったかしら?」
「奥様は旧いですねえ、25・5センチです」
足袋を買えば草履もいる。他には何が足りない? ステッキに葉巻か。
握り寿司をつまみながら、話題豊富な店の大将と話す。
「そりゃ何たって、大島を着たら長襦袢で勝負しなくちゃ、先生」
つまり表面は地味でも、その下にはグット来る柄の長襦袢を着るのが粋だとされる。
「寒くなったら、こんどは羽織の裏地で決まりでさあ」
学のある人は古典の引用をなさる。昼寝のとき,袖を裏返しておけば、愛しい人の夢が見られる。和歌にもあるじゃないかと。誰の顔が出てくるか心配だ。
いとせめて 恋しき時は むば玉の
よるの衣を 返してぞ着る (小野小町)
大阪のデパートで和服売り場を覗いたら、さすが何でもある。私が買った白い草履はゆき雪駄と言うらしい。財布や老眼鏡など入れる袋もあった。巾着という。昔の巾着切りとは現在の掏りのことだ。周囲に籠のついた洒落たデザインのを買いもとめた.思い付いて宗匠の被る頭巾がないか尋ねたら、これは京都の本願寺近くに専門の店があり、お茶人やお坊さんが注文で誂えるものらしい。お茶の作法も知らない私が、そんな頭巾を被るのは僭越だから、いつものハンチングにしよう。テレビ探偵物の金田一京介みたいに。
しかし新しい糊の効いた足袋で雪駄を履くと、滑っていけない。勢いよく歩くと、雪駄だけが先に飛んでいってしまった。物知りの奥様に伺ったら、足袋は誂えにして、一度水を通してから履くのだと。この道は限りなく深くお金も要る。女性が凝るのも無理はない。さて私の夢を語ろう。関西空港の対岸に、全日空の関西一高いホテルができた。大島をぞろりと着て、カワイ娘チャンと54階のレストランに行く。お客がどんな顔して見るやら。その視線を受けるのが楽しみだ。
「ときどき眼科の専門雑誌に随筆を書きます。」とおっしゃる60代の眼科のお医者さんから、着物を主題にした随筆をお送り戴きました。いいですねえ、こういうの(^^)。それぞれの光景が目に浮かぶようです。ぜひまた別のも送って下さいね。お待ちしております!