黒紋付羽織袴と紋の意味
そもそも、庶民の男子の礼装を羽織りと袴としたのは江戸時代の天保以降のことで、男性の第一礼装を五つ紋の黒紋付羽織袴と定めたのは、実は明治以降のことです。現在のような決まりきった形になったのは大正か昭和の初め頃だと言われています。
これは明治以降洋風の文化が日本に入って来て、鹿鳴館などでの公式なパーティに出席する際、洋装にはタキシードやモーニングといった「礼服」が当然のようにあったのに、和装の場合は、それまでの公家や武家、町人などの風習ごとに異なっていたため、外国の礼服に対する日本の礼服を無理矢理一種類に統一してしまったというのが実態のようです。黒紋付としたのも、彼らの礼服がみな黒だったからで、仙台平の袴も洋装の縞のズボンに似ているからという理由であると推測されます。
和服につける「紋」の起源は、平安時代の公家社会で装飾用として用いられたことが起こりとされていますが、戦国時代あたりから敵味方を区別するための紋章、つまり文字通りエンブレムとしての意が強まり、江戸時代に整理されて今日に至っています。江戸時代には町人たちの間で好きな人気役者の紋や、自分好みの紋を勝手に入れるなどした流行もあったりで、町人紋については根拠がはっきりしないものが多く、江戸時代まで苗字帯刀を許されなかった一般庶民の多くは、明治維新後に戸籍上の苗字を持つことを定められた際に、自由に好きな紋を選んだということです。
また、紋にはいわゆる魔除けの意味もあます。特に「背紋」は、古くは背後から近づく邪気やけがれをよけるためのおまじないとして付けたもので、この事が紋の数によらず背紋が一番重要な紋である所以となっています。デザイン的にも理にかなっていますが、一つ紋というと背紋だけなのはこうした理由もあるわけです。現代では本来の紋の意味を知って和服を着る人は希なことでしょうが、こういう謂れも、ある程度着物に慣れてから少しづつ知るとまた楽しく、着物への親しみが増すことでしょう。